無知の知

 いま、高知新聞では、「現代の教育」に関する連載をしています。今日は、「メールによる薄い人間関係しか築けない生徒たちに、いかにメールの書き方を教えるか」という高校の先生の談話が載っていました。

 あまり弱い者虐めはしたくないですが(そう、現代社会では、教師はすべからく社会的弱者です)いろんな角度から突っ込み可能ですねえ。「人間関係が変化してきている」とか、「メールというのはまったく新しいツールである」とか、実際にどうか、はともかく「そうかもしれない」という疑問を、こういう中年の先生方は持ってないんでしょうか。だとすると、「生徒たちの生活態度」なんかよりもずっとずっと由々しき事態であります。

 そもそもパソコンにしても、たいてい若者の方がいろいろ知っていたりします。ネットによって、いろんな(裏)事情にも通じていたりします。先生方が朝日新聞を読んで「オレはインテリだ」と悦に入っている間に、若者たちはネット上で、(もちろん、「ウソ情報」も混ざってはいるでしょうが)紙資料とは比べものにならないような情報量の海を泳いでいるのです。

 「生き方」みたいなのもそう。昔とは違う(もちろん、「いや、違わない」という方もおられるでしょうから、この辺は水掛け論になるかもしれませんが)。自分たちの時代とは違う論理で動いてきている。それを認識しないと。そうすれば、少なくとも、「知らないということは、知っている」ことができるようになるでしょう。