国民性

 ここで特定の本の感想を書くのは初めてかもしれませんが、加藤徹西太后』(中公新書)、面白かったです。

 で、加藤さんはわりと西太后に好意的に書いておりますが、僕はなんだか、読めば読むほど唖然というか、「こんな人物が日本に出なくて本当に良かった」と胸をなで下ろしながら読んでいました。

 1日の食費ウン千万円とか、東学党の乱で逃げてた西安から北京に帰還する時にはたった1回きりの行列のために道路をピカピカに補修とか、アホとしかいいようのない散財の限りを尽くします。最近の「われらの税金が公務員の無駄遣いに消えている」とか、そんなレベルじゃありません(だから無駄遣いしてもいいというわけではないのはいうまでもないですが)。

 中国社会というのはアメリカ社会に負けず劣らず、完全な弱肉強食、「カネを持っているやつが偉い」という世の中なんじゃないかと常々思っています。日本の場合、今でも、「金より精神的なものが大事」というのがわりと残っているんじゃないでしょうか。例えばホリエ・ムラカミみたいな人が報道されたりする時、われらの心の中には「ふん、金さえあればなんでも買えるなんて、浅ましいやつらだ」みたいなのが、どこかにあります。また、報道する側も、どっちかというと彼らの豪華な生活をネタとして、半ば笑いものとして提示しているようにも思えます。でも、中国の場合、本気で「起業家」とか「富豪」に憧れる人の割合が、日本よりもずっと高いんじゃないかという気がします。それは、中国の本屋における「ビルゲイツに学ぶなんとか」みたいな「金持ちになるハウツー本」の占有率の高さを見ても分かります(空港の本屋なんて、ほとんどがそれ系の本で占められています)。

 「どっちの方がいい社会だ」というのを判断する高次の視点というか基準はないので、こういう設問は無意味でしょうが、しかし、やはり日本人には考えられない世界ですね。江戸時代、日本を訪れた西洋人は、日本社会の支配階級たる武士が、そのトップの将軍ですら、質素な生活をしているのに驚いたというのは有名な話です。もちろん庶民よりは優雅なのは当たり前として、しかし西洋の貴族たちが庶民とは段違いの、しかも無意味な贅沢三昧をしていたのに比べ、日本では庶民との差は相対的に小さかった。

 こんな日本に生まれて良かったと、個人的に再認識した本でした。