ポジショニング。

 ブログでは、「反小泉」「反郵政民営化」が盛り上がって、有名なブロガーたちが集まってなんとか同盟を作っちゃったりしております。

 僕自身、小泉の信者でも何でもないですし、郵政民営化にもどっちかといえば反対のスタンスですが、彼らの動きを見ていると、どうにも全面的に賛成できず、う〜んと唸っちゃうんですよね。


 内田センセイは、ご自分のブログで、世の中の「問題」を、
 1.「資料が整い合理的に推論すれば答えることのできる問い」
 2.「材料が揃っていても軽々には答えの出せない問い」
 3.「おそらく決して人間には答えの出せない問い」
の3つに的確に分類されました。この方向で、僕的に勝手に分け直すと、

 1.「誰にとってもそうするのが正しい、という答えの出せる問い」
 2.「立場によって、賛成や反対が分かれる問い」

という感じでしょうか。で、先日もちょこっと書いたように、このうちの1、「誰にとってもそうするのが正しい」という答えの出せる問題設定は、もうほとんど成り立ち得ません。ちょっと前までは「平和」なんかがこれに当たるものだったと思うのですが、今では、「戦争をしたくてたまらない人」という人々がいることは、もうほとんど明白です。彼らが軍需産業なのか政治家なのか軍閥なのかはともかく、そして、彼らが我々一般とはいかに遠い立場にいるか、我々の利害とはいかにかけ離れているかはともかく、そういう人々の存在は認めないと、彼らを「黒幕認定」してそこで終わり、「やつらさえいなければ、幸せな世の中になる」みたいな思考停止になりかねません。

 郵政民営化論争もそう。賛成派にしても、反対派にしても、どっちも「自分たちの立場が絶対的に正しい」「そうすることが、絶対的に世の中のためになる」という、まるで神の視点で物事を論じております。しかしこれについては、考えれば当たり前ながら、民営化して「得をする人」と「損をする人」がいる、という、それだけの話です。反対派も、所詮は「民営化しない方が、自分たちの生活が楽になる」(と思っている)人々、にすぎません。

 だから議論なんかムダだとか、そういうことを言いたいわけではないのですが(こういう議論が盛り上がるというのは、やっぱりブログというのはすごいなあ、と思っているところです)、しかしブログの議論を見ていると、「自分たちの意見の通りにすれば、世の中バラ色」「反対のことをしてしまえば、お先真っ暗」的な偏狭な物言いは、結局は反対派を説得できないどころか、中間層すらも取り込めないで終わってしまうのでは?と思うのでした。


 月曜からの公開講座の準備でもういっぱいいっぱい。しかも明日は地区の運動会に借り出されます。でも、公開講座は、実はちょっと楽しみです。人前で話すのが好きなのかも。カラオケも大好きだし。