なんのために。

 昨日ぼんやりテレビを見ていたら、NHKで土佐勤王党のことについてやっていました。この方面にそんなに興味があるわけではないのですが、まあ一応高知在住だし、ということで、ビール飲みながら見ていました。

 番組はというと、ゲストとして呼ばれていた某漫画家(高知出身)のコメントが飲み屋のオヤジ談義以下で(「高知の太平洋の荒波が、ああいう立派な人物を産んだんですよ!」とか「中岡慎太郎の笑顔が、交渉において非常に有効に働いたんですよ」とか)、一般向けの番組だというのは分かるものの、一応学者さんを出してそれなりに実証的なコメントを言わせた方が視聴者も喜ぶのに、とブツブツ言いながら見ておりました。しかし、最後の方でこの漫画家が言った言葉に、ちょっと考えさせられることになったのでした。


 幕末、薩長を結びつけた土佐の中岡慎太郎坂本龍馬、彼らの行動に対し、この漫画家は「彼ら若者の行動には、お金のためとか、名誉のためとか、そういうのはなにもなかった」という風に言ったんですね。へーと思いました。実はこの番組の方向が、「坂本や中岡は、藩という狭い枠にとどまらず、「日本」という視点でものを見、「日本国のために」という一心で行動していたのだ」という作りだったので、「その当時「日本」というナショナルな枠組みがあったわけがない」という(主に左方面からの)突っ込みをもろに受けそうだし、僕自身、そう思います。でも、だとすると、彼らが「なんのために」一見彼らにとって何の得にもならないような行動を取ったのかが、すごく気になり始めました。


 最近、「なんのために」○○をするのか、という問題がいつも気になります。「何のために」勉強するのか、「なんのために」戦うのか、こんなことについてささやかながら文章を書いてきました。というのは、まぎれもなく、僕が「なにかのため」でないと、何もしない・やる気のでない人間だからです。院生時代に勉強したのは「就職のため」、今現在研究するのは「業績積んで、クビにならないようにするため」あるいは「業界内で名をあげるため」、髪を染めたのは「学生にカッコイイと思われたいため」と、なんらかのモチベーションがないとなにもしません。とくに研究については、「純粋に研究が好きだから」という研究者が多いのは事実でしょうし、そういう人は羨ましいなあと思いますが、僕はもし研究者になっていなかったら、本もなにも読まない人間です(逆に言うと、「純粋に研究好き」な研究者は、仮に「研究する人生」を選んでいなかったとしても、趣味で勉強を続けているんでしょう)。威張ることではないですが。


 中岡・坂本がなんのためにあんなことしたのか、Linuxの作成者みたいに、「それがぼくには楽しかったから」なのか(ちなみに、日本では、あるいは世界中かもしれませんが、このトーバルズみたいに、金や名誉のためではない「無私の行為」がもてはやされる傾向にありますね)、素人ながら、ちょっと調べてみようと思います。