論文指導。

 今年は4年生に週1で卒論指導をしております。授業としてそういう時間が設けられているわけではなく、勝手にやっているだけですが、去年は完全に放ったらかしだったので、今年はちょっとそういうのもやってみようと思って。

 これが、意外に面白い。学生さんが考えてきた卒論構想を元に、「この第1章と第3章は、順番入れ替えた方がいいかもね」とか、「主題は、もっとこの対立軸を明確に押し出した方がいいよ」とかって。


 自分の書く論文は、仮に1年1本書いたとしてもせいぜいあと30本ぐらい(まあ充分かもしれませんが)。しかも、僕が今さら魯迅や張愛玲(どっちも今年の学生さんのテーマ)の論文など書けません。別に書いちゃダメってわけではないですが、まあ普通に行けば無理です。ところが、学生の論文指導では、それが疑似体験できちゃうんですね。実際にはまず書けない魯迅論や張愛玲論を、学生に仮託して書けてしまう。「もし張愛玲論を書くとしたら、こうやって書いてたかな」とか考えながら、指導しております。


 学生さんにとっては迷惑な話かもしれませんが、とはいえ指導なんて、所詮はすべて押しつけ。自分の考えの押し売り以外の教育などありえません。と割り切れば、「教えること」も、そう捨てたもんじゃないかも、と思ったりして。