レポートに思う。

 ちょっと前に、「学生のレポートにおけるコピペ問題」がブログで論争になっていました。「学生のレポートが、ネット上からそのままコピーしてくるのが多くなっている。はなはだしきは、はてなのリンクのアンダーライン付きそのままとか、ブラウザの表示そのまま(「戻る→」とか)を印刷してくるのまでいる」とかいうやつ。

 で、ふと思ったのですが、レポート、そして論文って、矛盾した二つの課題を同時にこなす必要があるわけですよね。「誰かの意見をそのままコピー」ではダメ、自分の言葉で書くように。しかし一方で、完全に自分の頭の中で、脳内で捏ね上げた意見を開陳しても、却下されます。先行研究をふまえなさい、って。

 文学関係では、昔から、レポート(やその延長線上の論文)と読書感想文とは違う、と言われてきました。しかし実は僕、学生時代から何度も聞かされたこの言葉の意味が、よく分からないんですね。この両者の境界ってどこなんでしょう。なあおそらく、その心は、大学生のレポート/論文たるもの、単なる感想を書き殴るようなものじゃダメ、先行研究をふまえて、しっかりとした実証をしなければならない、というところなんでしょう。しかしねえ、その分野の研究を何年、何十年もやっている専門家ならともかく、たかだか半年や一年講義を聴いただけの学生が、的確な先行研究を押さえ、それに自身の観点も入れつつしっかりしたものに仕上げる、なんていうのは神業でしょう。僕だって、かつ(そこそこ文章も書き殴ってきた)今だって、てんで素人の分野、政治とか経済とか、そういうののレポートを書けなんていわれたら、うまいコピペ(バレない、文章の組み替えがうまい等)以上のものなどできやしません。と断言。


 おいらがアホなだけかしら。