大騒ぎ

 中国の新聞紙上で、「超級女声」(略して「超女」)という人気番組に関して、エラい学者さんたちが大真面目に議論してますね。この番組はいわゆる「視聴者参加型」、番組内で素人が何人か歌って、視聴者が携帯メールで投票し、1位を決める、というものです(僕も見たことがないので詳細は不明。完全に投票のみで決めるのではなく、審査員もいるらしいです)。

 日本ではもう珍しくない(……とはいうものの、改めて考えれば「世界不思議発見」ぐらいですかね。もちろんあれはアイドルではないですが)この手の番組ですが、中国ではこの夏大ヒットしたそうです。で、その選出方法を選挙になぞらえて、「これは極めて民主的だ」という論者がいたと思えば、「いや、こんなのは見せかけの民主でしかない」と反論する学者がいたりと、中国論壇も番組の人気に「便乗」して大盛り上がりの様相です。

 興味深いのは、これが「国政選挙」というシステムを持たない中国で起こっていることですね。もちろん安易にこういうことをいうべきではないかもしれませんが、中国の、とくに知識人にとって、「選挙という手段を持たない、持てない」というのは、やはりある種の「負い目」として働いているような気がします。先日の日本の選挙で、小泉自民党が圧勝したことに関して、中国の掲示板で「もう日本と開戦だ!」などの勇ましい書き込みが多かったという報道が日本でなされましたが、僕が掲示板を見た限りでは、もちろんそういう意見もありましたが、「これは日本の人民が自分たちで選んだことだ、仕方がない」的な、諦めや羨望の混ざった意見もかなり多かったです。

 で、「「超女」は民主的か?」論争でも、上海のある有名な社会学者が「選挙とは、民主主義というシステムの一部を占めるに過ぎない。それがすべてではない」という意見を述べて日本のブログやメルマガでも結構好意的・肯定的に紹介されていました。でも、彼の意見をものすご〜く意地悪に解釈すれば、選挙という手段を持たない者たちが、「ふん、そんなもの、たいして重要じゃないんだよ」と開き直っている、ともいえるんじゃないでしょうかね。

 ちなみに、「超女」の番組HPを見る限りでは、「冠軍」に選ばれた女性たち、かなりレベルは高そうです。少なくとも、昨日の魯迅の曾孫よりは以下略