教育の専門化

私は教育の専門化に入るのか。言葉の定義なんてその人次第でしょうが、まあ、入るのかもしれません。
もちろん、他の「先生」たちも。
で、「我々専門化の意見を聞かずに、勝手なこと決めるな」みたいにいう。

でもいつも思っていますが、ほとんどの「先生」は、自分のやったことの効果など、わかりませんよね。
たとえば私。自分が普段やっている教育活動が、学生にどれくらい役に立っているのか、ほとんどわかりません。
いや、わかるといえばわかりますよ。「受講者アンケートでいい結果が出た」とか「中国語テストの点がよかった」とか「いい卒論を書かせた」とか。
でもそれが、その学生のその後の人生に、どれくらい役に立ったのかは、ほぼわかりません。
そもそも、何をもって「役に立った」とするのかも、「神のみぞ知る」ですし。

「寝てるよりは授業聞いたほうが役に立つ」という程度なら、いいんです。でもさすがにそんなレベルではない。私の授業を聞くのと、バイト先で「社会勉強」しながらカネを稼ぐのと、どっちが役に立つのか。なかなか難しい問題です。

などということを最近は考えてます。考えるだけで、とくに何もしてませんが。