縁は異なもの

今年度から、学内で異動しました。

今までは人文系だったのが、今年度から国際系。

学生の気質とかも違うといえば違いますが、一番大きいのは、今までは「4年生に上がる時に最終的な指導教員を決める」だったのが、今年度からは「2年生に上がる時に」に変わったこと。

これがなかなか憂鬱で。


今まで、私のゼミに所属した学生って、「よもや私のところに来るとは」という学生がほとんどなんですよ。

正直、3年までは名前もよく知らない学生。名簿見て、「えっオレのとこに来んの?」と驚く、ということが多い。

逆に、1年生の時に「desean先生のところで勉強したくて、この大学に入りました」という学生(数年に1人ぐらいですが)、最終的にオレのところに来たこと、一度もありません。見事なくらい。こっちは逆に「えっオレのとこに来ないの?」と驚くこと、何度もありました。


で、これこそが、大学で学ぶ醍醐味なんじゃないかと思うのです。最初はこれをやりたかったけど、授業聞いてたらこっちの方が面白くなってきた。これ、全然普通です。むしろ推奨すべきなくらい。


ところが、今度移った部局もそうですが、社会全体が、そういう「あとから進路を変えた」というのを、ミスマッチと呼んで悪いことだとするようになっています。

最近、地域系とか国際系とか、「大学でやることがはっきりしている」学部がどんどん作られていっています。例えばうちの地域系学部も、「地域活性化をやる」と、目的がはっきりしている。

一方、昔ながらの文学部なんかは、「入って何を学ぶのかが明確でない」ということで、落伍者と見なされているような風潮。


しかしねえ。

そもそも「入る前」にいくら話を聞いたりネットで調べたりしても、わかるわけないんですよ。結局のところは、自分に合うか合わないかは、入ってからじゃないとわからない。

「考えを変える」というの、別に悪いことじゃないはずで、セーフティネットというか遊びというか、そういう部分があってしかるべきなんですが。


新部局のゼミエントリー、今のところ、私のところには5人。

もちろん、「やっぱdesean無理、生理的に合わない」みたいな学生は、快く他の先生に送り出す所存です。