ギャンブルとしての人生

バドミントン選手の賭博に関して、「スポーツで上に行けるなんてほんとにわずかな可能性しかない。それに賭けるような人間はそもそもギャンブルにはまる可能性があるんだ」みたいな意見が見られました。

これが正しいのかはともかく、人生がギャンブル化しているのは、確かじゃないでしょうかね。


高度に専門化された現代社会では、「試しにやってみる」程度でプロになれる可能性は、かなり低くなっているんじゃないでしょうか。それこそ、子供のころからそれに「賭けて」、ずーっとそれをやってない限り、ポッと出でモノになるのは、なかなか難しい。

スポーツや芸術が典型ですね。私の姉は、子供のころからピアノをやってて、それなりに上手かったらしく、「音大に行く」みたいなのも話に出ていたのですが、最終的には親が「うちの子はそこまでの才能はない」と見切って、普通の大学に行って、今は普通に公務員をやってます。この時の親の選択、はたして正しかったのかどうか。それは神のみぞ知る、です。

もちろん、「いろんなことを満遍なくやる」というのもありだし、私も子供にはそれを勧めます。が、それだと、プロになるのはちょっと望み薄ですね。「いろんなことができる一般人」にとどまる。

とどまってもいいと思いますが、その辺は、わかりませんね。子供が「ロックで生きていきたい」といった時、はたしてどうするか。まだちょっと時間はあるので、悩んでおきます。