助走はどこまで必要か
さっきニュースで、「新年度から就活期間が変わる」というのをやってました。
そこで学生たちが、「働くことのイメージ」をつかむために、社会人100人の話を聞く、という取り組みをやっているんだとか。
この手のは、よくあります。で、基本的には、悪いことじゃないと思います。
話変わって、大学の初年次教育。これが年々膨れあがっています。
何をするかというと、「これから4年間、大学で学ぶ上で、「何を、どう学べばいいか」を学ぶ」というやつ。
アカデミックライティング系授業だったら「授業のレポートを書くための準備」。「社会人の話を聞く」系授業だったら「自分が将来何になり、そのためには大学でどうすればいいのかを考える」。
これも、基本的には、悪いことじゃない。
が、思うのは、こういう「助走期間」や「練習」、どこまで力を入れるべきもんなのかなあ、と。
しょせんは練習なんですよ。いくら練習で全力を注ぎ、上手くいったところで、本番とは違う。いくら社会人の話を聞いたって、「社会」に出れば、聞いた話とはまったく違う(たぶん)。
授業も一緒。そもそも大学というか教育自体が長い「助走期間」なわけですが、そこでさらに「助走の助走」に時間と力をかけるって、どうなんだろうなあと。
私自身がどちらかというと「習うより慣れろ」派だ、というのもあります。もちろん習うことを否定するわけじゃなく、そんなことしたら自分がやってることを無意味化してしまうことになるわけですが、とはいえ、「学び方を学ぶ」ことにそこまで力を入れるのは、どうなんだろうなあと。
新学期でも「社会人の話を聞く」系授業をやるのですが、キャリア系の同僚と打ち合わせしていると、「社会人の話を自分に落とし込めるよう、セミナーなどで「補習」したほうがいい」とおっしゃったりします。
これも全否定はしませんが、う〜ん、なんですよね。とにかく話を聞く/聞かせる、でいいんじゃないのかなあと。
そして「助走」に力をかける昨今のやり方は、教育でこれまたいわれている「自立性」とは、真逆の方向でもありますよね。
そんなわけで、いろいろ入り乱れる昨今の教育事情なのでした。