老いる過剰

先日、とあるメキシコ映画を見ました。お年寄りが主人公。

村の長老というポジション。

舞台がちょっと前、たぶん3,40年前だからというのもあるんでしょうが、みんな、大事にするんですね。ちゃんと居場所がある。アドバイスを求めてくる。

ふり返って、今の日本のお年寄りはねえ。

端的に酷い言い方をして、過剰。居場所なし。


もちろんこれには理由があって、


1.人数が多い。

2.「老人の知恵」が活かされるような状況がない。


1はいうまでもなく。今では年寄りなんて珍しくないどころか、年寄りじゃない方を探す方が難しい(オーバーですが)。2もいうまでもなく。今どき、80歳のお年寄りの知恵を拝借するような場面、ありますかねえ。仕事だと、商売をやっている人なら、たとえば先代に助言を受けるような場面もあるでしょうが、サラリーマン・勤め人では、そういう状況、ほぼ皆無といっていいんじゃないでしょうか。オレ自身、父のアドバイスとか、実際の仕事ではほとんど無意味、と思ってしまう。幸いうちの父は、オレのやることに口出ししてくるタイプではないですが。

家庭生活も、子育てとかで母や祖母の助言を受けること、もちろんあるでしょう。でも昨今は、どちらかというと、以前の常識を覆す最新の知見も多いでしょうしね。よく母が、姉の子育てを見てプリプリ怒っています(「あんなに抱っこしたら抱き癖が付くのに、ちょっとぐずるとすぐ抱っこする」等々)。


そんなこんなで、老人の承認欲求を満たす場面、ますます減っていきそうです。老人の自己実現とか自分探しとか、そういう方向で満足させるしかないんでしょうかね。