自分プロデュース

例の作曲家(の会見)について。

ああいうのを見ていると、「自分プロデュース」という行為について、いろいろ考えさせられます。

「自分プロデュース」、多かれ少なかれ、あるいは意識的・無意識的を問わず、誰もがやってることではあります。

で、その方向性。彼の場合、自分を弱者(と、ひとまずしておきます)に見せかけようとした。

ここで志向が分かれるのかもしれませんね。オレだったら、逆です。自分を強く見せようとする。実際、その方向でやってます。病気を隠してさも健康体に見せ、豪胆なイメージを周囲に植え付ける、そういう方向でプロデュースしようとします。してます。

あと、自分プロデュースも、上手くいっている人と、いっていない人、いますよね。格好良く見せようとして、成功している人と、失敗している人と。
こういうのは、「一生懸命○○に見せようとしている」というのがバレた時点で、ほぼ失敗です。もちろん場合によっては「「一生懸命○○に見せようとしている」という自分」をプロデュースする、という大技もあり得るでしょうが。

となると、自分プロデュース成功の鍵は、「いかに自分を客観的に見れるか」にかかっているんでしょう。プロデュースするだけじゃなく、プロデュースの結果、自分がどう見えるのか、まで計算に入れないと。さもないと、あの会見のように、全くの逆効果になりかねません。


ちなみに今年の修論生のお題は「文学による自分プロデュース」でした。それを指導して改めて思いましたが、世の中、すべて自分プロデュースですよね。着るものから、しゃべりから、もちろん書くものまで、すべてが自分プロデュース。

オレ自身が、他人にどう見られるかをとても気にするたちなので、自分の論文のようにのめり込みました。ただ口頭試問や発表会での他の先生の反応を見ていると、あんまり評価・理解されてなかったような。