まずはデータ

最近はこのあたりの本を。


〈選択〉の神話――自由の国アメリカの不自由

〈選択〉の神話――自由の国アメリカの不自由


選択の科学

選択の科学


こういう本を読んでいて思うのは、このあたりの分野は、といっていいのか、アメリカは、といっていいのか、すべてデータ・実験なんですね。そしてまた、こんな実験、誰が考えたんだろう、というように、ありとあらゆる実験が行われているんだなあ、ということ。

いやいや日本だってこのあたりの分野では実験は当たり前だぜ、ということかもしれない、というかそうなんでしょうが、でも、日本で同類の本を読むと、データよりはむしろ経験談とか、そういうのがより多く使われている気がします。


データで思い出すのは、アメスポ。このあたりもよく言われますが、アメスポというのはものすごくデータ好き。野球にしろバスケにしろアメフトにしろ、ありとあらゆることのデータを取ります。「3Qで3点差以内で負けている時の勝率は0.353」とか「○○大卒の選手がTDを連続で何週挙げ続けた」とか。


アメリカは、「みんなに共通する土壌」がないので、データしか信用しない、とかなんとか理屈はつけられそうですが、個人的には、アメリカのこの感覚は、嫌いではないです。