研究が進むと 2

前も同じタイトルで同じようなことを書いた記憶がありますが、まあふたたび。

週末、ひょんなことから、米文の学会に参加してきました。

自分の発表はまあうにゃうにゃ、という感じですが、他の方の発表を見ていて、思ったことが。


我らが中文と比べると、英米文学、研究法みたいなのが、すっかり確立しています。
文学研究法・論文執筆法みたいなテキストもいっぱい出ている。学部向け・大学院生向け、などなど、至れり尽くせりです。そういう意味では、ずっとずっと進んでいる。

しかしその研究は、というと……


いや、中身は、しっかりしているんです。でも、まさにその、「教科書的」なんですよね。

もう型がすっかり決まっている感じ。「課題曲」を延々と聞かされている気になってくる。

破天荒というか独創的というか、そういうのにほとんどお目にかかれない、気がする。


まあ1回学会に出たくらいで分かった気になっちゃだめでしょうが、とはいえ、研究が進む、ということは、必然的にそうなるとも言えます。だから、悪いこととは言えないのでしょうが、聞いている方、しかも素人にとっては、そんなに魅力的とは言えなかったりします。


あとはなんか、「国家・社会としてのアメリカをdisればOK」みたいな雰囲気も、なんかこう……