求む政治屋

我々の業界には、ふだん、あんまり研究には精を出さず、もっぱら学内政治にうつつを抜かす、いわゆる「政治屋」と呼ばれる人たちが、一定程度はいたものです。

いたものです、というのは、そういう人たちが、どんどん減っている、ように思うからです。もちろん、今、実際に中枢を握っているのはまさに彼らなのですが、最近の若手、まあ45歳以下、ぐらいにしておきましょうか、彼らの中で見たとこ「こいつは政治屋だな」という人、少なくともうちではほとんどいない。

なぜかというに、まあおそらくは、大学教員になる際の研究的な要求がどんどん高くなっている、ということなんでしょう。昔、オレらの先生、ぐらいの世代は、まあ正直、論文2,3本で就職、という時代でした。ガチンコの公募もそうなかった、つまり、指導教官の鶴の一声で「お前ここに行け」で決まっていたわけです。
そうなると、おそらく、研究以外にいろんなことができてたわけです。それこそ、学生運動とかね。そこで鍛えられたり、「政治の面白さ」を学んだりしていったんでしょう。

しかし今では、論文2,3本でなんて話にならない。普通は10本程度、少なくとも5,6本はないと、最初から撥ねられる。学位も必須。となると、遊んでいるヒマなんてない。もうひたすら研究漬けです。

これは、研究という点だけで見れば、良いことですよ、いうまでもなく。


ただそうなると、どうも見る限り、各分野の研究はできるかもしれないが、それ以外の、組織における生々しいやりとり、交渉とか、根回しとか、そういうのが苦手、というか最初からできない人が多くなっている、ような気がする。もちろん「オレモナー」です。オレらの先生世代の、手練手管を駆使するやり方には、最初から太刀打ちできない。

若手の場合、「正攻法一本槍」なんですね。「こうしてくれ。なぜならそれが正しいから」という「正論」のみを盾にしてしか交渉できない。「正しさ」というのは天から降ってくるとでも思っているらしい。その「正しさ」を証明し、実行するコストはまるで払わず、要求だけを押し付けたり。


いや、ちょっと最近、この「両者」のあいだに立つことが、多いもので。ほんと、疲れるです…