アリの眼

3日間研究会の合宿に出てきました。

これ、本当の話、しかもお恥ずかしい話ですが、最近、中国文学(作品・研究ともに)の本を読むこと、もうほとんどないんですよ。デカい話のものばっか。

原因はいろいろあるんでしょうが、けっこう大きいのは職場の環境。地方の大学ではよくあることですが、「現代中国」についてやっているの、学内でオレ一人。どころか、県内でも、「現代中国の研究者」って、たぶんオレ一人。なので、いろんなところでけっこうしゃべらされる。それは嬉しい限りです。

でもそうなると、細かな専門の話をしても、あんまりウケないんですよね。やっぱりデカい話、タイムリーな話題にしないと。「1930年代のメディアがどうたら」言っても、専門外の人、一般の人にとっては、あんまり面白くないでしょうし。

などというのはオレが勝手にサービス精神を発揮させているだけかもしれません。べつに「細かい専門の話はやめてください」と言われているわけではないし。とはいえ、オレ自身も「穆時英という作家がいまして…」という話よりは、「最近、高速鉄道の事故がありましたが、これには中国の官僚システムが深く関わっていまして…」的話題の方が、準備も楽しかったりします。


再び前置きが長くなりましたが、専門分野の研究会に出ると、いかに自分が勉強していないかを思い知らされるとともに、脳味噌の、普段つかっていない部分を使う感じがして、頭がスッキリするです。文学ってやっぱり細かな話、一人の人間の心に寄り添う、みたいなものが多いので、ふだん世界を「空を飛ぶ鳥の眼」でしか見ていないところを、「地を這うアリの眼」で見てみる、という感があって、たいへん刺激になりました。