もうひとりのわたし

今年、「各部局や組織の調整役」みたいなお仕事をしております。

これが、意外なほど、面白い。


例えば、A、B、Cという組織がそれぞれ「担当コマ数」で揉めたとします。それを調整しなければならない。

その時、オレ自身に、もうひとりの「人格」が宿るんですね。

つまり、「オレ個人」としてはAの主張に1票入れたいところだけど、システム・規則的には、Aに負担をかぶってもらわなければならない、みたいに。

「人格」が宿るというよりは、「システム」が宿るんですかね。

で、これが不思議なほど快感。Aに「すみませんおっしゃることはほんとによく分かるんですが、規則では、やっぱり負担をお願いしたく……」と説得する時、得も言われぬアドレナリンが出るですよ。


仕事の重みは比べものにならないですが、裁判官も、もしかしたら、こういう快感、味わっているんですかね。「快感」なんていったら誹謗中傷になりますかね。


この仕事、来年もやってもいいかな。でも2年目だから、もう交替かな。