中国という磁場

中国現代文学史もあと3回。疲れた。

しかし準備していてつくづく思いますが、中国文学史は政治史と限りなく近いんですよね。授業も作品解釈より政治的「背景」の方が比重が高いというかほとんどそればっかりやっています。


しかしだからなのか、中国文学の教員って、いわゆる「政治的」な人が多い、気がする。

いや、政治学とかやっているならわかりますが、文学や歴史、哲学など、本来は典型的な学究肌タイプのはずの分野でも、中国研究に限っては、政治的な人、けっこう多い。

つまり、大学内で上の方(学部長とか理事とか副学長とか)に行く率、高いと思うのですよ。かくいううちも、副学長1人、学部長クラスに2人、中国屋がいます。

逆に、数からいえば圧倒的に多いであろう「日本のこと」をやっている人、偉くならないですよね、見ていて。こちらは典型的な学究肌が多数。

これはどっちなんでしょう。中国のことをやっていると政治的になっていくのか、政治的な人が中国研究に吸い寄せられるのか。

たぶん前者でしょうね。もともとその手の学内政治的なことにはほとんど興味がなかったはずのオレも、最近けっこう学内のパワーバランスみたいなのに関わっちゃうこと、多くなってきているですよ。しかもそれがそれなりに面白かったりしてですねえ。