37歳の精神史

昨日、文学史の講義で魯迅の「狂人日記」をやったのですが、その時気付いたことに、彼がこの処女作を書いたのは37歳、今のオレと同い年なんですよね。

そうなると、俄然親近感が湧いてきました。よう、ご同輩。人生もいろいろあるって分かってきて、先もちょっとだけ見えてきて、しんどい時期だよね、いろいろと。あんたが37歳でこういう小説を書いた気持ちも、よくわかるよ。世の中はクソみたいな出来事ばかりだし、かといって自分もそういうクソにまみれて生きるクソの一部だし。どっかの偉そうなアホどもは、自分だってまるっきりクソなくせに「自分だけはクソじゃない、キレイな存在なんです」みたいなけったくそ悪い大ボラ吹いてるし。あのアホどもをチクリとおちょくってやるために、「狂人日記」、書いたんだろ? まあでも、そんなもん書いて憂さ晴らしたところで、なにがどうなるもんでもないよね。まったく、なにをどうすりゃいいんだろうねえ。


いやもちろん見てきたことや経験したことはまるで違うわけですが、でも「37年生きてきた」ということに関しては、オレと魯迅はまったくのイーブンです。いや、魯迅に限らず、時代を問わず、「ある人が37年生きてきた時点で何をどう考えたか」って、けっこうちゃんとした定点観測になるんじゃないですかね。


でも、そうやってみると、オレと魯迅、不思議なほど人生がかぶる、気がしてきました。23,4歳でお隣の国に留学して、でも何となくなじめなくて、帰って少しブラブラして、30過ぎでお役所勤めして、という。このままじゃお国も自分もダメなんじゃないかと思いつつも、じゃあなんか行動しろといわれると何もできずに文章で愚痴をこぼすだけ。まあ、人間ってのはこうやって朽ち果てていくもんなんかな。


って、37歳の魯迅はきっと考えてたはずですよ。よしオレも、ここで一発、小説書いて当てるかな。