裏読み

今珍しく論文を書いているのですが、最近やってきたこととはちょっと系統が違うので、普段の倍疲れます。

元々オレは資料の数で勝負する方で、「AはBである」と書いてある資料、それは新聞でも小説でも日記でも何でもいいのですが、それをできるだけ集めて「だから「AはB」なんです」というやり口をずっとしてきました。なのであんまり頭は使わない。むしろ足を使う(資料集めに中国行ったり)やり方です。こっちのほうが合っている。

一方今やっているのはある作家の文章を深読みして「彼はこう言っているが、それはここから来たものかもしれない」とか、頭を使うのです。いや疲れる。

本来文学研究は後者が王道なんでしょう。僕も院生時代には、「作品をじっくり、深く読み込む」ことの訓練を受けてきました。それこそ1学期に数ページしか進まないような演習。今だから言えますが、実は当時はそれが苦痛で苦痛で。細かいことはいいから、もう他のを読みましょう、と何度言いかけたことか(もちろんそんなこと言えるはずもありませんが)。


で、こっから飛躍するのですが、実生活でも、オレ、人の考えを推し量るとか裏を読むとか、そういうのがほんと苦手なんですよ。「この人Aって言ってんだからAなんでしょ」という方針。「いや、でも彼の普段の言動を考えると本当はBって思っているかも」とかそういうのはほとんど考えませんし、そういうのを要求する人も苦手です。


と思ってふと考えると、この業界、研究スタイルってやっぱ性格を表しますよね。ねちっこい人はねちっこい研究するし、脳天気な人は脳天気な研究するし。
とかいって、これはトートロジーですね。しかし本来3月末締切のやつなのですが、ここにきてようやく目処が立ってきました。ホッ。