卒業式の効用

そして今日は卒業式。

とはいえうちの場合、飲み会とかもなく(やっている人はやっているんでしょうが)、あっさりしたもの。まあ、ゼミ生1人(しかも女の子)だと、飲みに連れて行く、というのもやりづらいのではありますが。
今年のたった一人の卒業生も、今さっき挨拶に来て、10分ほどおしゃべりして、帰っていきました。4月からは東京だそうで、会うのはこれが最後になるかもしれません。


しかし不思議なもので、こういうあっさりしたやりとり・学生のほうが、却って感傷的になるんですね。いろいろ考える時間があるからでしょうか。
今年の学生さんも、一緒に飲みに行くとかもあまりなく、付き合いといえば週1回の卒論ゼミの時間だけだったのですが、だからこそなのか、いろんなことが頭をよぎりました。


学校という箱庭で・オレみたいなちっぽけな人間に教わったことなどに囚われず、新しい世界に踏み出して行ってほしい、という思いと、一緒に勉強したことを少しでいいから今後の人生に活かしてほしい、という思いとが交錯したり。


これ、去年も、その前の年も、同じこと書いてますよねたしか。でも、判で押したように、同じこと考えるんですよ卒業式の日は。


そういう意味では、卒業式というのは、教員に「オレは、学生たちに、何をしてあげたんだろうか、そしてそれは、どのくらい学生に役立ったんだろうか」と自問させてくれる、貴重な機会なのかもしれません。ま、いずれにせよ、卒業される方々には、心の赴くままに生きていってほしいです。それだけ。