人事評価

今日は組合の教研集会。お題は革命のやり方について。うそ。「人事評価」についてでした。

世代間の断絶がうかがえて、なかなか面白かった。


年輩の方々は、「人事評価」と聞いただけで、アレルギーがあるようでした。ご不満な点はいろいろあるようでしたが(ある教員は延々30分も「オレが今までいかに学部長やら誰やらに迫害されてきたか」についてブッていました)、公平じゃない、というのが、たぶん一番のポイント。

一方、(いちおうオレも含めた)30代以下はというと、まあいいんじゃない、という感じ。そんなに違和感なし。すでに人事評価が行われている事務サイドが実際に査定に使っている「判定資料」が資料についてきてましたが、経営学の方が言っていたように、「民間なら普通にやられているもの」です。もちろんここで「仕事によって(特に教員の仕事について)は民間の基準では計れない」という理屈もアリだとは思いますが、とはいえこれもその経営学の方が言っていたように、運用の仕方によっては、完璧は無理としても、そこそこの「公平」感は保てるんじゃないか、と。


で、ポイントを整理すると、新しいシステムにちょっと問題があった場合(または問題が発生する可能性がある場合)、「だからやらない」か、「問題の部分を手直ししながらやる」か、という方向性の違いなんでしょうかね。


「若い人間の方が新しいシステムに抵抗感がない」というとあまりに単純化しすぎでしょうが、でも老若のステレオタイプそのままですよね、この違い。


まあ昨日の「アドミッションポリシー」もそうですが、正直、「人事査定(的なもの)を一切やらない」という選択肢は、ほぼないわけですよ。上からのお達しでね。ならそこで哲学的な議論とか勝ち目のない戦に臨むよりも、「どうすればよりマシになるか」に議論を集中させる方が、効率的じゃないんか。

ナウなヤングのオレなんかは、そう思いました。


もちろん、「そこで負けちゃダメだ」という理屈も、まったく分からないではないんですよ。そうやってなあなあで来たその結果がこのざまだ、とも言えますしね(とはいえ、オレ的には今の社会の状況、そんなに捨てたもんではないとも思いますが)。勝ち目のない戦に臨むその美学というのも、個人的には嫌いではないんです。

なので正直分かりません。どっちが正しいのか。


でも組合の人って、一風変わった人が多いんですよ。なので議論を聞いているのもけっこう楽しいんですよね。議論のピンぼけ具合もおつなもの。