他人の必死さを笑うな!

sean972009-10-25

昨日は今さらながら、今年の正月映画であるこの映画を。

まあなんちゅうか、正月映画としてはこんなもんなんですかね。


しかしここんとこの中国映画って、こういう「お見合い」をテーマにした映画、なんだか多くないですかね?ちょっと前だけど『至福の時』とか、『緑茶』とか。

で、往々にして、「お見合いで必死に伴侶を捜す中年男」の滑稽さを笑いものにするわけです。


「これは今の中国の結婚難を表現している」と言えば話はすぐ終わってしまうのですが、そもそも中国で、特に男が「伴侶を捜す」ことにかける執念たるや凄まじいものがありまして、たとえば『長江エレジー』は、音信不通になった妻を捜しに遙か離れた街からやってくる男が主人公の一人です。それは「愛する妻を捜す」というよりは、完全に執念、あるいは強迫観念とでもいうべきものです。
まあふつうは「不孝に三あり、跡継ぎがないのを大とす」で説明されるのですが、最近の場合は別に「子どもが必要だから」というものではなく、純粋に伴侶がほしい、という欲望のように思われます。


で、レイヤーを一つ上げると、そもそも(とくに新時期以降の)中国映画って、こういう「ある物事に病的なほどに取り憑かれた人間の物語」を描き続けてきた、といえるんではないでしょうか。『大閲兵』しかり、『黄色い大地』しかり、『覇王別姫』しかり、『ミッシング・ガン』しかり、『クレイジーストーン』しかり(まあ適当に思いつくのを何個か挙げただけですが)。あるいはここ最近の「時代劇」もその系譜といえるでしょう。

これらの映画って、見ていると、登場人物がみんななんでそんなに必死になっているのかがさっぱりわからん。端から見るとどーでもいいことなんですよ。でも「映画世界」の中ではみんな大まじめ。

それを「お見合い映画」のように笑いに昇華するかどうかは(とはいえ、あんまり趣味のいい笑いではないとは思いますが)もしかしたら二の次で、なによりも「病的に取り憑かれている」ことが大事。

まあしかし、僕からすると、どうも「イタい」。そのマジメさもイタいし、マジメさを笑いものにするのも同じくらいイタい。いや、『大閲兵』ぐらいのメッセージが込められていればまだしもですが、最近の映画は、このマジメさがもろに、ストレートに出てきて、端的に見てらんないです。


中国映画に漂うこの「必死さ」、なんでですかね。わからん。今さら「西洋に追いつかねばならない」でもないだろうに。


あ、ちなみに、この映画の僕的見所は、冒頭、葛優が発明品を売りつける企業家の女性秘書(カワイイ。でも名前不明。面倒なので探しておらず)の胸元でしょうか。これだけでも見る価値ある、かどうかは見てからのお楽しみ。