メール番長

今まったりとやっているテーマの一つが、「書くことと〈人格〉との関係」とでもいいましょうか(なかなかうまい言い回しが見つからないのですが)。

オレら、なんとなく、「ある人が書いたものはその人自身を表す」とか思っています(たぶん)。とくに文学研究では、この前提は、けっこう絶対的なものです。ある作品を書いた作家に対し、「こういう作品を書いたということは、彼はこういう性格なのだ」とか、逆に「こういう性格だから、彼の作品はこうなのだ」とか、そうやって論じるのが、まあ一般的です。

でも、そんな前提、いつ誰がどこで決めたんだろう、ということ。
だって、心にもないことを書いたりすることって、日常茶飯事じゃありません? あるいは、本人と書いたものとのイメージが全然違う、とか。

その格好の例になる同僚がいるですよ。


先日、その人からたいへん好戦的なメールをいただきました。いや、その人がある会議を主催したのですが、会議開催のメールが来たのが月曜日で、開催日は木曜。日曜から木曜夜まで出張だったオレは、出られるはずも、「出られません」のメールを打つことすら、できません。

で、金曜日に出勤してきてようやく会議開催を知ったのですが、その彼が会議予定日の木曜に、「DeSean先生が会議にいらっしゃらず、おかげで我々は無駄足を踏まされました。なので、次の会議は次の火曜日に設定しますので、DeSean先生は必ず、出席してください」などというメールを打ってきてたですよ。この文面、ほんとこのまま。なにこの無駄足って。勝手に会議日設定したのそっちだろ。

さすがに温厚な私も腹が立ちまして、次の会議も無視してやれ、と思っていたら(火曜日はどうせ都合が悪いし、また会議の内容も、別に集まる必要もない、メールですむようなものなんですよ)、その先生が部屋に来たですよ。

で、やたら丁寧な態度。「あ、そうですか、DeSean先生は出張でしたか。では、火曜日はどうですか?都合が悪い?では水曜日にしましょう。みなさんにもそう連絡しておきます。はい、わかりました。」

口論の一つも覚悟していたオレは完全に拍子抜け。なんじゃそりゃ。

そして改めて会議開催のメールが来たのですが、ふたたびそこで、「DeSean先生はたいへんお忙しいようですので、水曜日にさせていただきます。今度こそみなさんお集まりください」と、なんだか嫌みったらしい文面。


こういう場合、彼の人格はどっちに宿っているんでしょうね。わからん。