人は変われるか

アメスポも今週からNFLが開幕。レギュラーシーズン最終盤のMLBと含めて、アメスポファンにはたまらない時期です。


さて、アメスポがデータ好きなのはよく知られた事実です。試合中の画面では、選手に関するいろんなデータが紹介されます。MLB公式サイトでは、選手のプロフィールで、野手は13、投手にいたっては20ものデータが載っています。日本だと、ピッチャーはせいぜい登板試合、イニング、勝ち、負け、セーブ、防御率、被打率、被ホームラン、ぐらいじゃないですかね。

日本でもプロ野球放送で徐々にデータが出るようになってきましたが、明らかにメジャーの影響でしょう。一昔前まではせいぜい、チャンスで登場したバッターの得点圏打率が紹介されるぐらいでした。

なんでだろう、と思っていたのですが…


昨日のMLB(SEA@LAA)、解説はあの西本聖だったのですが、なんかのデータが出てきた時、面白いことを言ったんですね。

「私は、今までのデータがピッチャー有利だったとすると、逆に「そろそろ打たれるんじゃないか」みたいに、イヤな気持ちになる」と、おおむねこんなこと。


つまり日本って、いろんな場面で、良くも悪くもデータを信用しない。「今まではこうであっても、次もこうなる保証はない」という考えが一般的。

一方アメリカは、「物事がこうであれば、次もこうなる」と、データ重視。

これはアメスポでは一般的な考えです。日本は「才能にはあまり恵まれてなかった選手が努力して一流になる」というストーリーに萌えますが、アメリカでは努力にはそこまでの敬意は払われません。あくまでも、「一流の才能を持った選手が、一流の技を発揮する」ことに萌える。

つまり、「この人の能力は、すでにこれこれと決まっている」という、かなり身も蓋もないエッセンシャリズムが、アメリカでは支配的なんじゃないか、と。


これは、データの出し方にも表れています。日本では選手のデータを出す時も、あくまでも「そのシーズンのデータ」が主です。一方アメリカでは、「生涯データ」の方が一般的。これはおそらく、日本では「選手の(あるいは人の)能力は変わっていく」という考えなのに対し、アメリカは、「変わらない」という考えなんじゃないですかね。


な〜んてお粗末な比較文化論でした。ちょこっと応援していたRAYSがほぼ終戦を迎えたので、あとはPHILLIESに期待です。