地元愛

今日、ここでは「何とか祭り」が行われているらしいのですが興味のないオレは学校で静かにレポートの採点。

先日「学校愛(への違和感)」について書きましたが、「地元愛」というのも結構厄介なポイントだったりします。

うちの、というか地方の大学では多かれ少なかれあるかと思いますが、授業や、あるいは研究でも、「地元」を銘打ったものを取り入れるように、というのが、大学のみならず、文科省なんかのやんわりとした要望・要請だったりします。

しかし、これ、本気で困るですよ。以前この場で公募しましたように(あ、その時お答えいただいたみなさま、本当にありがとうございました。この夏休みで何とか仕上げるつもりでおります)、「高知と中国」とか、まあ苦しい苦しい。経済なんかだと結構出て来るみたいですが、人文系、しかも外国のことをやっていたりすると、相当難しいものがあります。

しかも、先日の大学と同じように、大学教員の多くは、「今勤め先がある場所」に、思い入れがありません。あ、こっちは、大学よりは思い入れは多いかな。「どこどこに勤めたい」というのは、出身地や出身大学近辺、そして首都圏・関西圏など、ある人はありそうです。というかある人の方が多いのかなもしかして。


しかしだと少数派なのかもですが、オレはそもそも、住むところにまったくこだわり・執着がありません。どこでもいいっすほんと。今のとこだってたまたまだし、次にもし移るとしても、むしろ「今まで住んだことのないところ」に住んでみたいです。

生まれ故郷だって、ほんとどーでもいいですよ。以前なんかのオリエンテーションで、「出身地のお国自慢をする」というのがあったんですが、え、なんで「自慢」が前提なの?と、本気で噛みついたですよ。だってねーもん自慢なんて。ちゅうか狭い日本、どこもそんなに変わんねーって。駅前商店街は寂れてて、郊外にジャスコやイオンがあって、近くにはコンビニが2,3軒ある。そんだけ。別にいーじゃんそれで。


……書いてて何にイライラしているのか分からなくなってきました。暑いのと、レポートの出来が悪いのとの、相乗効果でしょう。っつかなんだよ「科挙によって身分制度がなくなり自由恋愛ができるようになった」って。