本当はメシが嫌い?

昨日寝る前になにげに書いたエントリ、これ、文化論ネタとして、けっこういけるんじゃないですかね。

たとえば明日の授業で使うこの映画で考えてみましょう。



メシを食うシーンはたっぷり出てくるのですが、こんな具合。


【冒頭】
主人公が初めて婚約者の両親と会うために火鍋の店へ。主人公はすでに腹を壊しており、脂汗を流しながら食事。すぐにトイレに駆け込む。


【第1話】
男の子からテープを送られた高圓圓ちゃんが、あれこれ悩みながら黙々と食事。


【第2話】
「集団見合い」で老人たちが和気藹々と食事。しかし実際に食べているシーンは無し。


【第3話】
倦怠期の夫婦の食事。会話まるで無し。


【第4話】
離婚を控えた夫婦と子供の食事。子供は一生懸命盛り上げようとするが、妻は泣きながら食っている。


【第5話】
朝メシを買いに出た徐静蕾、部屋に戻れなくなる。


と、まあ揃いも揃ってロクなシーンじゃありません。マシなのは第2話ですが、ここでは食ってるところはスルーで、「食い終わって記念写真を撮っているシーン」にいきなり飛びます。
まるで、「哀しいシーン・ネガティブさを表すシーンにはメシ」というお約束があるかのようです。

とくに第3話が典型です。これ、倦怠期の夫婦が「おもちゃ」によってふたたび仲良くなる、というお話ですが、最初の「倦怠期」の象徴としてメシのシーンが使われ、「仲良くなったあと」では使われない。韓国ドラマだったら、必ずや「一緒に楽しそうにメシを食うシーン」が使われていることだろうに。


というわけで、「中国人は、実はメシが嫌い」という結論に達しました。お、これ、来期の市民講座のネタに使おうっと。