思想信条の自由

ようやく明日で講義も終わり。最後は「中国建国以後の文学」です。

しかし例年、この時代についての講義の準備をしていると、何ともやりきれない思いになってきます。

人民民主主義独裁には二つの方法がある。敵に対しては独裁の方法をとる。つまり、必要な期間、彼らを政治活動に参加させず、彼らを人民政府の法律に従うよう強制し、労働するよう強制するとともに、労働を通じて新しい人間に改造するのである。人民に対しては逆で、強制の方法はとらず、民主の方法をとる。つまり、彼らを政治活動に参加させるべきで、ああしろ、こうしろと強制するのではなく、民主の方法によって、彼らに対し教育と説得を行うのである。こうした教育活動は、人民内部の自己教育の活動であり、批判と自己批判の方法こそ自己教育の基本的な方法である。全国の各民族、各民主階級、各民主政党、各人民団体およびすべての愛国民主人士がこの方法をとるよう希望する。
毛沢東「徹底した革命派になろう」1950)

 諸君が学習するのは、自分を改造するためである。学習しようという人なら、少なくともこの程度の認識は持つべきであろう。もちろん、改造には時間がかかる。一度に深く、早くと思っても、それでは性急だし、実際にも無理というものである。初めは浅く、次第に深くと、順を追って進むべきである。
周恩来「知識分子の改造問題について」1951)

共産党に対する新たな理解から私自身を検討してみると、私の基本的な欠点というものが、自分が過去に国民党員であったことにあるのではなく、過去の教育によって、私が個人的自由主義者になっていたこと、そして、現実から遊離していたので見解が狭くなり、意志も堅固でない知識分子になってしまっていたことにあるのが分かった。私はこれからも学習に努め、努力して欠点を直し、時代と大衆に追いつくように努力したい。そうして、私が新しい社会において、全く役立たずな人間にならないようにしたい。私の性格はいささか良い点、勤勉だとか、虚心だとか、事に当たって悲観しないだとかがあるから、これらがもしかすると、私の新生の芽となるかもしれない。
(朱光潜「自己批判」『人民日報』1949.11.27)

(引用はともに『原典中国現代史 第5巻 思想・文学』岩波書店、1994より)


こういう文章を読んでると、精神的に参る。行為ではなく、「何を考えたか」が批判の対象となり「改造」の対象となる、という状況を考えると、本気で身震いします。そして、それは決して「あちらの世界のお話ではない」とも。


僕がフェミニズムとか差別論とか、そういう「学問」に今ひとつ乗り切れないのは(「運動」にはシンパシーを感じても。まあ、「学問」と「運動」を分けて考えることに意味があるかどうかは分かりませんが)、やっぱりこの、「考えたことで罰せられる」ということに対する恐怖があるんでしょうね。いやもちろん男女は平等であるべきだし、差別はいけないし、とは思います。差別する人を憎みもします。でも、やっぱり、「考えたこと」と「行動」とは、分けて考えなければならんとも思うのですよ。

じゃないと、たとえばオレが以前書いたメールを元に「お前は差別主義者だ」と、いつ摘発されるかわからんです(実際、オレの過去のメール探せば、いくらでも「証拠」は見つかりますよ)。

いやもちろん、フェミや差別論を「文革と一緒だ」というつもりはありません。また「差別主義者だ」と学問的に批判されたからといって、強制的に思想改造されるわけじゃないから、これらの学問をしている人を毛沢東になぞらえるのもお門違いです。それは分かっています。

ただ、やっぱり、この、「思想エリート」というか「言説エリート」が、庶民のふだんの言論を取り締まる、みたいなイメージがあって、どうも素直に乗れないのも、また事実です。


もちろんオレが乗らなくたってこういう運動・学問にはなんの影響もありません。こんな態度だから、これまでも・これからも、5流研究者です。

しかし、「思想信条の自由」の信奉者として、これくらいは、自分の考えを吐露しても、思想改造しろといわれることはないでしょう。と信じます。