事件から遠く離れて

くまくまさんからコメントをいただいて、いろいろ考えてみました。

で、話が面倒になるので、ひとまずあの事件からは離れて、「理想の・公平な教員採用」というものをいろいろ考えてみることにしました。


1.筆記試験一本
これが一番「公平」であるのはいうまでもありません。
ただ、「筆記だけじゃ教員の資質は分からない」「効率よく点数を採るやつだけが採用される」等々、弊害があるのも事実。


2.筆記プラス面接
実際にはほとんどのところでこの採用方式でしょう。
ただ、面接には、どうしても「不公平感」が付きまといます。面接官(複数がふつう)によって基準がバラバラなんじゃないか、口のうまいやつが有利なんじゃないか、ルックスの良いやつが有利なんじゃないか、等々。実際、僕も何度か面接官をやったことがありますが、評価はけっこう割れます。
民間なら「バイアスのかかった面接」もOKでしょうが、公務員・教員的に「公平な面接」を目指すとなると、どうすればいいんでしょうね。


3.推薦
学校の入試では一般的になってきましたが、就職(とくに公務員関係)だと「コネ」といわれて批判の対象となるであろうのが推薦制度です。「口利き」とも言われそうです。
「コネ」とか「口利き」というといかにもあくどい響きがしますが、ただ、金銭の授受を伴わない「推薦」がどこまで良いか/悪いか、というのは、そう簡単に決められないと思います。
たとえば、ある教員・教育関係者に、なんの利害関係もなく、自分が心底見込んだ青年がいたとする。人間的にも、学問能力的にも、申し分ない(だったらふつうに試験で通るだろう、というのは措いといて)。そういう人を「推薦」するのは、やっぱりダメか。
あるいは大学の指導教員の推薦とかも、ダメなのか。ある受験者は指導教員と折り合いが悪く、ゆえに辛口の推薦状(というのは実際にはあんまりないですが)か、そもそも推薦状がない。ある受験者は立派な推薦状がある。これは「不公平」か。その手の推薦状は、一切見ないようにすべきか。ただそうなると、教員採用が結局は「一発勝負」になりはしないか。試験や面接だけじゃなく、ふだんの行いを見るには、「適度の推薦」って、けっこう役に立つんじゃないか。


等々。だからどうだというわけじゃなく、「問題点」っぽいのを適当に挙げてみただけですが、しかし何らかの競争・試験における「公平さ」の確保というのがそう簡単ではない、というのは紛れもない事実です。「帰国子女は英語ができるから不公平だ」みたいな(くだらねー)意見もちらほら聞かれたりとかしますしね。

公務員試験や教採は100%公平にすべきだ、民間とは違うんだから、というのは、まあOKとしましょう。じゃあその公平ってのは、どうすれば担保できるの?って考えると、なかなか奥が深いのですよ。


ちなみに、昨日も書きましたが、大学教員の採用に「100%公平」とか言いだしたら、どうなっちゃうでしょうね。論文の数で決めるとか(質では基準にバラツキがでちゃうし)、ペーパー試験やるとか……ちょっとヤですね。