定義の不可能性

今年の大学院ゼミでは、この本を。


新版 文学とは何か―現代批評理論への招待

新版 文学とは何か―現代批評理論への招待


久々に読んでみました。


冒頭、「文学」を定義することの難しさが書かれています。どう定義しようとしても、かならず、そこからすり抜けていってしまう事例がいくらでも出てきてしまう。じゃあ定義不能なのか?定義しようとすることは、無意味なのか?


実は先日のサポーター問題(僕の中ではまだ終わってないですが。そのうち続きを。)で、「サポーターの定義とは?」という質問をこちらから投げかけてみたのですが、これはかなり意地悪でして、「定義不能」というのは最初から分かっていたのです。「自分がサポーターだと思えば、サポーター」という唯心論しか、ありえません、ひとまずは。

ただそれだとあまりに面白くないのも事実でして、なんか、こう、そこから話を広げられないかなあ、とか思っています。


それにしてもこの本、学部以来十数年ぶりに読みましたが、面白いですね。イーグルトンは文芸批評の分野では「過去の人」っぽくなっている、と思うのですが、まだまだ使えそうです。