生産とか消費とか
本格的な分析は(そんなのが僕にできれば、ですが)そのうちやるとして、手始めに、この本などはいかがでしょう。
- 作者: ミシェル・ド・セルトー,山田登世子
- 出版社/メーカー: 国文社
- 発売日: 1987/05
- メディア: 単行本
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かなり前に読んだので細かいところは覚えていないのですが(この週末にでも読み直してみます)、同書で挙げられていた例は、たしかこんなんです。
私たちは、野菜や肉や魚を、消費者として、消費する。しかし、それら材料を使って我々が何らかの料理を作る時、我々は生産者にもなるのである。
ある意味都合のいい理屈なのかもしれませんが、でもこれって、サッカー観戦にだって応用可能じゃないですかね。我々はサッカーを見る時、あくまでも消費者です。カネを払っているかどうかはともかく。ピッチで行われている行動に対して、なんの手出しもできません。
しかしそこに「意味」を付与するのは、我々です。良い/悪いプレーだったとか選手が疲れているみたいだから今度何か差し入れしようとかこんなプレーじゃ予選通過は無理だなとかあの選手は放出して新しい選手を取れとか、そういう「意味」は、全部我々が生産するものです。テレビでの偉そうなおっさんの批評なんか、放っておけばよし。
結局我々観衆(ファン/サポーター)ができるのは、そうした意味生産だけでしょう。でも、それこそが、一番楽しいことなんじゃないでしょうか。
で、そうやって楽しんでいる時には、どこに住んでいるとかいくらカネを払っているとか、そんなのどーでもいいことなんじゃないですかね。