またしても「どっちもどっち」……

引用していただきました。

http://d.hatena.ne.jp/rajendra/20080403/p2


う〜ん、僕には、サポーターとファンとを厳密に区別し、かつ前者により高い価値を置くような思考に、あんまり意味があるようには思えないのですよね。例えばファミレスサポーター/ファンがいたとして、かたやジョ○サンの熱狂的なファンであり、かたやすかい○ーくだろうがコ○スだろうがなんでも美味しいものを食べる、というスタンスだったとして、じゃあどっちかが消費者でどっちかが消費者ではない、とか、どっちが偉い?とかいうことを議論するのはナンセンスでしょう。どっちも消費者であることには変わりなし。


……下手な比喩ですね。でも僕には、「スポーツ観戦=消費行動」「サポーター=消費者」でなぜいけないのかがよくわからない。いや、仮に「サポーター≠消費者」という図式を認めるとして、ではなぜ、それが「ファン=消費者」より偉い、ということになるのかが、よく分からない(rajendraさんはもしかしたらそういう「サポーター>ファン」的な意見ではないかもしれませんが、岡田監督のインタビューを見ると、明らかにそういう文脈で使っています)。


……と書いてきてもうお分かりのように、僕にもミスリードがありました。元エントリで「日本では、スポーツ観戦も、消費の一つなんですな。」と書きましたが、ここ(だけ)をよむと、明らかに、「消費」を価値・次元の低いもの、とみなし、その上で「日本では欧米に比べてスポーツ文化がまだ根付いていない」的な主張に導こうとするもの、と読めます。それにrajendraさんが「日本にだって消費じゃないスポーツ文化がある」と反論してきたわけですが、僕のそもそもの主旨は、「スポーツ観戦は消費」というのが絶対前提としてあり、その上で「スポーツ観戦者=日本の消費者」を批判する、というものでした。僕自身の記述にも混乱がありました。これについてはお詫びいたします。


で、それを踏まえた上で、僕としては、「スポーツ観戦が消費行動で、何が悪いの?」と、あらためて反論したいと思います。試合観戦によってカタルシスを得る、という点で、サポーターとファンに、どれだけの差があるんでしょう。あるいは、「オレたちサポーターはファンとは違う」という主張は、もちろんそれは主張する人の勝手、ではありますが、しかしそういうある種の「優越感」は、排斥行動などを呼び込みやすいのも、また確かでしょう。欧州サッカーで、クラブ・代表チームのサポーター組織が、ナショナリズムや人種差別の温床になっている事例は、それこそ枚挙に暇がありません。


当然ですが、「全てのサポーターが差別主義者だ」とかいうつもりはまったくありません。また、レッズサポのあの行動も、暴れたとか破壊活動は起こしていないようなので、それこそ「日常のクレームの範囲内」とも言えます(ただああやって責任者を吊し上げる、というのは、精神的暴力だとは思いますし、その行為を、「オレたちサポーターだから」「チームのことを考えているから」、というふうに、自分がサポーターである、ということをエクスキューズに使うというのは、いかがなものかと思いますが)。繰り返しますが、「好きずき」の問題、なのかもしれません。


ただ、僕もそこそこのスポーツファン(アメスポ・テレビ観戦のみ)として、「オレたちはカネで快感を買うようなファンとは違う」というサポーターの主張には、「ふ〜ん、でも、どっちもどっちなんじゃね?」と、ボソリとつぶやきたいと思います。べつに消費でいいじゃん。