消費者至上主義

最近、いろんなところで、消費者の暴走が起こっている、みたいにいわれます。

教育なんかでもね。やや眉唾ながらも、「モンスター・ペアレンツ」なんかはその類でしょう。「オレや子どもは金を払ってサービスを受けている消費者なんだから、学校や教師はオレの言うとおりにするのが当たり前」みたいな意識。


最近思うのが、スポーツの世界。

こんな出来事とか。

浦和の惨敗にサポーター“抗議デモ”


これのニュースをテレビで見てましたが、外国では、まず有り得ないシーンだなあと思ったものでした。

僕はアメスポ好きですが、もちろんアメリカにもダメチームはあるし、それに腹を立てるファンもいます。

しかし、だからといって、「責任者出てこい!」ということにはならないし、仮にいわれたとしてもノコノコ出ていってファンの前で頭を垂れて謝罪する社長やGMがいるなんて考えられない(あるとすれば裁判でしょう。他都市に移転したチームを訴える、というのは、けっこう聞く話です)。


つまり日本では、スポーツ観戦も、消費の一つなんですな。オレは試合という商品を買っているんだ。なんでオレの思うとおりの試合をしない。責任者に文句をつけてやる。

ここでは、ファンという名の消費者が、絶対的に優位に立っている。そういう図式が見えるのです。

いっぽうアメリカ(ヨーロッパも?)では、両者はいわば「対等」です。もちろん観衆/ファンはチームやフロントを堂々と批判しますが、チーム/フロント側も別にそれに媚びたりはしない。声に出してはいわないまでも、「イヤなら見にくんなよ」という態度です(たぶん)。そしてファンは本当に、「見に行かない」という手段で、対抗する。するとチームは「観客が少ない」という理由でその街から移転したりする(あるいは「移転する」ことを臭わせて街から新スタジアム建設の好条件を引き出したりする)。見事にドライな関係が成り立っております。清々しいほどです。

それに対して、日本では、この両者の関係があまりにウェットですよね。


いや、これには、いろんな留保が付きますよ、もちろん。

「観戦=消費する、それで何が悪い」という意見もあるだろうし。

何でもかんでもアメリカ式がいい、みたいなのこそ西洋の価値観に毒されているだけじゃないか、という意見だって、成り立ちます。

なので、あくまでこれは好きずきの問題、と言われればそれまでです。


う〜んしかし……


僕的には、不甲斐ないチームに「オレの思うとおりの試合をしろ!」と怒鳴り込むような方々とは、あんまり友達にはなれそうにないし、一緒に観戦したくないなあ、と思う次第です。まあ向こうからお断りされるでしょうが。