本当にたびたびの引用です。
すなふきんの雑感日記−旧日本軍の亡霊は今もここに


精神論というとたいていスポーツ界がやり玉に挙げられて、「もう今は“権藤権藤雨権藤”の時代じゃないよ」とか批判・揶揄されるわけですが、どっこい、我々の社会全体をこの精神論が覆っておりますよ。甲子園が特殊なわけじゃなく、あれは我々の「精神構造」の一形態。


「才能」的要素を論じるのがはばかられるようになって、「頑張ればだれだって夢は叶う」みたいなキャッチフレーズが蔓延してますが、逆に言うと、「できないのは頑張らなかったから」ってことでしょ?できなかったこと・失敗を、その人の「頑張り」の欠如ととらえられてしまう。それこそ精神論ですよ。


まあもちろん、「だから人はそれぞれの分を守るべきだ」「庶民はムダな夢は見るな」とかいうとまた違った方向でアレだし、また「頑張り」に意味がないといいたいわけではありません。こないだもちらっと書いたように、僕も「頑張り」には一定の評価は与える方です。ですが、教育にたずさわる人間として、この両極のあいだで、常に頭を悩ませているのです。