楽しさか……

美徳の不幸−楽しみが伝わるか?
http://d.hatena.ne.jp/t-kawase/20071011/p1



いや〜まさに僕自身の今一番のツボというか課題です。


僕は文学研究者の片隅にいながら「文学制度の脱構築」っぽいことをしていて、というのはつまり、「中国の近現代(だけじゃないんでしょうが)では文学がなぜかデカい地位を占めていたけど、だからといって、「文学が世の中を良くした」わけでもないんじゃないか。それどころか、くだらん文学上の争いで死人まで出したり。とすると、なんで中国ではそんなに文学に高い価値が置かれたのだろう?」みたいなことを考えているのです。

しかしじゃあこれをこのまま教えられるか、というと、難しいんですねこれが。うちの学生さんはやっぱり文学が好きな人、あるいはこれから好きになろうとする人が多い。

そういう学生に「所詮文学なんて……」的な方向の授業をしてもなあ、ということで、講義では、普通の文学史を教えています。


しかし、これってどうなのかなあ、という思いが、常に消えません。周りの先生を見ていると、やっぱり自分の専門が本当に好きなんだろうなあ、という方が多い。というかほとんどです。そしてもちろん教え方が上手い下手はあれども、学生にとって、やっぱり「本当に専門が好きな先生」に教わる方が、幸せなんだろうなあ、と思うのです。「文学の価値など、あんまり信じていない」教師が教えるよりも、「文学が好きで好きでたまらない」教師が教える方が、いいのかもなあ。

自分の学生時代を考えても、記憶に残っているのは、やっぱその手の先生だったりしますしね。楽しそうに授業をする先生は、受けてても楽しくなるものです。


まあでもこれは、自分でどうこうしようと思っても限界があるしなあ、とも思うし。かといって、「教育は2の次、オレは研究に生きる」とまでも割り切れないのがもどかしい。


と、もやもやしつつ、明日の授業の準備を。