チベット雑記

sean972007-09-12

こちらで書かれていたり、あるいはまさに十年ほど前にチベットを旅行した友人からも聞いていたのは、「乞食が多い」ということでしたが、今回行った限りでは、中国の他の町と比べてとりたてて多いとは思いませんでした。むしろ少ないくらい。「しつこさ」もそんなに気にならなかったし。

これは、先日写真を載せた車のような「乞食追放キャンペーン」が「成果」を挙げている、ということなんでしょうか。


そしてラサの街全体が、(観光客にとって)良い意味で「観光客慣れ」しているなあ、という印象。街を歩くチベット少年僧にカメラを向けても、スルー。3年ほど前にいった四川省チベット族地域では、同じくカメラを向けるとほぼ必ずカネを要求してきたものでしたが、ここではまったく気にもとめないかヘタすると笑顔まで見せてくれるという考えられない歓待ぶりでした。まあ、これはあくまで観光客のわがままな感想です。そりゃ僕らが街歩いててガイジンに物珍しそうにカメラ向けられたら、いい気はしませんよね。僕もカネ要求します。なんて。


そんなこんなで非常に「良い街」だなあ、漢族とチベット族が仲良く同居しているなあ、という印象でした。


……などという感想は脳天気に過ぎるのでしょう。右派の方々が中国を批判する時の錦の御旗、「チベット併合/虐殺」問題は、もちろん看過していいものではありません。

が、かといって、今現在の状況を見れば、「チベット族が漢族に迫害されている」という図式も、違う、ように思える。


そもそも、こういう「図式」は、誰にとっての見方が一番「正統」なのでしょう。「チベットのことはチベット族にしか論じる権利はない」というのがナンセンスなのは明らかです。むしろそこに(完全なものとはいかないまでも)「客観性」を持ち込むのが、「外からの目」の意義だと言ってもいい。ただ、そこには(昨日書いたような)「他人事感」があるのも、否定できない。他人事感ならまだいいか。自分の主義主張のために「外国(チベットやら台湾やら)」を都合よく利用する、そういうのに、どうにもしようのない違和感を感じてしまう。


……なんだかよく分からなくなってきましたが、要は、結論先にありきの議論・研究は、真っ平だ、ということです。そういう議論は別のとこでやってくれ。