配慮

経済的・身体的など、さまざまな面で「恵まれない人」(←すみませんこの言い方が妥当かどうかは分からないのですが、とりあえず)に配慮をするのは、当然のことです、ひとまずは。

ただ、その線引きをどうするかというのは、なかなか杓子定規にできるものではないのも、また事実です。


たとえば、「○○で卒論書くなら、この本ぐらい買ったら?」というと、「お金がなくて買えません」みたいなことを言われた場合。ここで頭ごなしに「この程度の本も買わないなら、卒論を書く資格などない!!」と怒鳴りつけるのは容易いのですが(まあ僕の性格上容易くはないか)、いっぽうで、「本当にお金がないのかもしれない。恵まれてないのかもしれない。」という「疑念」も湧いてきたりします。こんな時、どーすりゃいいのか。


あるいは、体調不良で授業にほとんど出てこなかった学生が、診断書を持って「試験受けさせてください」と言ってきたり、さらには試験も受けずに「レポートでいいでしょうか」と言ってきた場合。これも、どこまで配慮すればいいのか、常に頭を悩ませます。


基本は「状況次第」なんでしょうが、ただ昨今、「杓子定規」がむしろ(上から)奨励されたりもします。A先生は許したのにB先生はダメとか、Cという学生はOKだったのにDという学生はダメだったとか、そういうゴタゴタの種を少しでも摘んでおこう、ということなんでしょう。


いやはや気をつかいます。