日本人と国家

エラそうなタイトルですが、単なる印象です。


憲法とは、政府に対する命令である」みたいな言い方があります、というかそれが本義なんでしょうか。

ただ、こういう言い方、僕には、そこはかとない違和感があるのです。というか、政府・国家を〈国民〉と別人格として、むしろ対立・抑圧するものとして、捉えるような物言い(特に左派の人たちがいうような)全体に、違和感がある。

違和感というか、「カチンとくる」という感じでしょうか。遠回しに「オマエはアホだ」と言われているような、そんな感覚。


もちろん、これで「カチンとくる」こと自体が、アホな証拠だ、お前は何にも分かっていない、といわれれば、「はあ、すんません」と引き下がるしかない。しかも、こういう感覚が僕だけのものなら、「オレってあほだなあ」ですむかもしれません。しかし、国家主義者でもなくたいしたポリシーもなく、しかもむしろ国家に抑圧される被害者ともいえる層の人々が、〈国家〉に否定的な左派に対して無闇に攻撃的な現状を見ると、こういう感覚、けっこう多くの人が持っているものかも、とも思うのです。「死者に鞭打つ」のを病的なほどに忌避する感覚と、同じような感じに。


これ、なんなんでしょう。わかりません。いつものように、言いっぱなしです。


が、なんとなく思うのは、「政治家は、オレたちの代表」みたいな感覚が、けっこう共有されているのかも、ということ。

うちは昔から某朝日新聞を取っておりましたが、子供心に、この新聞が、首相や閣僚、そして自民党を一貫して批判するのが、なんとなく気分が悪かったものです。

「自分たちの代表なのに、なんでここまで貶すかなあ。こういう悪口って、ブーメランみたいに、自分たちに返ってくるんじゃないのかなあ」と、プリプリしながら読んでいたものでした。

政策的には自分と正反対だとしても、選ばれたからには、自分たちの代表。自分たちの分身。だったら貶したりバカにするのではなく、陰ながら応援しようじゃないか。そんな感覚。


こういうのは、政治学的・社会学的に見れば、明らかに「後進的」なことなんでしょう。でも、こういう身体感覚は、なかなか棄てられるもんじゃないのかも。


僕自身も、理屈では分かっているんです。でも、なかなか……