http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20070518/1179458835

おっしゃりたいことは分かるし、頷けるとこも多いのです。が……


浅田的、「それだけじゃないだろうという」「「逃走」論の眼目」、すなわち、「素直に服従するのでもなくて、素朴に反抗するのでもなくて、「アーアー聞こえなーい」でもなくて、そのどれをも裏切ってしまう」という所作が、結局のところ、「思い出のほかに」、何かを残したんだろうか、というのが、素朴な印象としてあるのです。

結局のところ、「賛成か、反対か」の二項対立を突きつけ、選択を強引に迫る権力者の前では、単純な「反体制」程度の影響力も、持ち得なかったんじゃないだろうか。


なので僕は、すなふきんさんが言うような、「現代社会においては「反抗」そのものがすでに(進歩的な人たちも巻き込んだ形での)システムに織り込み済み」なんじゃないか、という図式のほうに共感するところの方が大きい。


「じゃあどうすればいいんだ」というのの答えはまったく出せません、ので、無責任な言いっぱなし(というかダメ出し)ではあるのですが。