http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20070517/1179372061

なるほど、納得しました。


ただ、本来のテーマからはかなりズレますが、気になったことを少し(なお、僕は「ブラッドダイヤモンド」を見てないので、本当にトンチンカンかもしれないです。今週末見に行きます)。


僕の専門の中国で毛皮といえば、なんといってもこの映画。

レビューはもう山ほど出ているでしょうが(代表的なのは、これとか)、まあ、不思議な印象を残す映画です。


チベットに生息する稀少動物レイヨウの密猟者と、それを守るボランティアのパトロールとの息詰まる戦い、というテーマ、ではあります。

こうまとめると、「密猟者が悪でパトロールが善」という図式で鉄板か、と思いきや(もちろん、そう見れないことはないのですが)、どうも、この映画から受ける印象は微妙にズレる。


この映画で、パトロールのみなさんは、先ほどの町山さんのブログで的確に指摘しているように、「レイヨウを守るという目的は消えうせ、追撃だけが彼[ら]の人生と化している」のです。まあ、「プライドのため」といってもいいかもしれませんね。血気盛んな男たち。

一方の密猟者は、ボスはまあ見るからに、という悪人(一癖ありそうではありますが)ですが、その手下、実際に手を下すヤツらは、まあ貧相な、貧困を絵に描いたような人民たちです。

トロールと密猟者(の手下)、この両者を並べた時、もちろん、パトロールだって「裕福者の道楽」というわけでは全くないにしろ、どっちが弱者か、と聞かれると、なかなか即答できないものがあります。


で、こういう場合、つまり、他に産業など何もなく、「密猟」でしか生計を立てられないような人民たちがいるような地域では、はたして、どういう処置が望ましいのでしょう。

もちろん、「彼らの生活のためには、密猟には目をつぶろう」という理屈が成り立つわけはないでしょう。そこで、彼らを他の産業に誘導する、ということになる、んでしょうか。

ただ、素人からすると、「ビッグ・ボス」を倒した後、はたしてどうなるのか、というのは、ちょっと気になる点ではあります。


福耳さんの提出した問題とはズレるでしょうし、またこのあたりのことは、環境経済学(?)なんかでは、おそらく太古の昔から議論されてきていることなんでしょうが。僕もちょっと勉強してみます。