恋は盲目

こないだ、DVDレコーダーのハードを整理していたら、以前撮った「リメンバー・ミー」が出てきました。一度見てはいたのですが、ついついもう一度見ちゃいました。

リメンバー・ミー [DVD]

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ラストの、キム・ハヌルのメガネ姿にゾクゾクいたしました。あんな英文学教師がいたら、僕も今頃は……
最近ハリウッドでリメイクされた「イルマーレ」とコンセプトは似てますが、僕は「リメンバー・ミー」の方が好きです。


で、この映画のキム・ハヌルもそうですが、韓国ドラマ・映画を見ていると(日本もそうなのかもしれませんが、最近日本映画・ドラマをほとんど見ていないので)、恋に破れて泣いたりわめいたり、はては死ぬのなんのと、「おいおい、なにもそこまで。男/女は、世の中に彼/彼女だけじゃないっすよ」といいたくなるようなシーンがてんこ盛り。


でもなぜか、あまりバカにする気にはなれない。気持ちがよく分かるとまでは言わないけど、まあでも、なんか、完全に突き放しては見れない。というのも、僕自身、「恋愛というのは、病気である」と思っているからです。


まず念のため言っておくと(余計な誤解を避けるため)、僕は、実際の恋愛には全然縁がありません(でした)。くっついたり離れたり、男/女を取っ替え引っ替えなんてのは、別世界の話です。だからこそ、こういう妄想も広がるのかもしれません。


で、他の人の恋愛(もちろん片思いも含む)を見てると、おバカに見えるでしょ? 「なんでそんな男/女に入れあげてんの?たんに騙されてるだけじゃない?」とか、「バカだなあ別れたぐらいでそんなに落ち込むなんて。世の中にはもっと他にすべきことがありまっせ」とか。授業中、後ろの席でいちゃいちゃとおしゃべりしているカップルを見ると、思わず水をかけて(以下自粛


でもじゃあ、自分はどうか、というと、やっぱりバカなのですよ。好きな人ができると、もう何も手につかなくなったり、気を引こうと、アホなことやったり。で、熱が冷めてから改めて考えると「オレってバカだなあ」と思ったり、いや、あとからどころか現在進行形で考えても「オレってバカなことしてるよなあ」と、自覚症状はバリバリあったりするのですが、でも、やめられない止まらない。これ、やっぱ病気ですよね。
小谷野氏のいうように、「恋愛教」にどっぷりはまっている、ということもできるでしょうし、というかまさにその通りなんですが、でもまさに彼自身のように、「自分が恋愛教にハマってしまっている、ということはじゅうぶん分かっているんだけど、でもそこから抜け出すことができない」んですよ。


ここでも「進歩的」な方々は非モテのこういう行為をバカにするんでしょうが(あ、非モテ論争は、僕の手には余るのでこれ以上深入りはしません)、で、実際バカだとは思うのですが、当事者的には、やっぱどうしようもないんですよ、たぶん。



最近「デキ婚」が話題になっておりまして、まあ多くは否定的に論評されるわけです。なかにはまるで犯罪でも犯したかのような論調のものもあったり。

でもねえ、やっぱ、恋は盲目だと思うのですよ。


再び断っておくと、別にここで「デキ婚のススメ」をしているわけではありません。気をつけた方がいいのは、当然でしょう、まあ。

ただ、その、「気をつける」というのが、恋愛している当事者にとって、どれほどの意味を持つのか。「気をつけて恋愛する」って、語義矛盾じゃないのか、とすら、思っちゃうのです。

もちろん中には、終始冷静な人もいるんでしょう。で、そういう人を「冷酷だ」とか「本当の恋愛を分かっていない」とかいうつもりもありません。でも、やっぱ多くの人にとっては、恋愛は病気なんですよ。「気をつける」とかそういう冷静さを完全に失わせる。


あんまり大きな声ではもちろん言えませんが、うちのガッコでも、学生の、まあ「デキ婚」っぽいのがあったりします。で、諸先生方のなかには「まったく、最近の若いモンは、後先のことを何も考えない」とか、そんな物言いをする人も、いたりします。


くどいようですが断っておきますと、僕は「デキ婚のススメ」はしませんよ。でも、そいいう風になった人たちを、まるで異生物のように、「まったく、なんて人たちだろう」みたいに言うっていうのは、どうなんだろうなあ、と思うのです。たぶん、恋愛って、自分のはバカっぽいのに(バカっぽいからこそ?)、他人の恋愛が実際以上にバカっぽく見えるものなのかもしれませんね。または、他人の恋愛をバカっぽく見る(論じる)ことで、自分のバカっぽさを覆い隠そうとする、というか。


……およよふだん書き慣れないことを書いたらいつもの倍疲れた。