理想の講義

上に関連して、昔から思っているのですが、ある分野における、理想の講義って、あるはずじゃないかと。

今現在、日本の大学では、何万という講義が行われているはずですが、少人数で指導する演習やゼミならともかく、少なくとも講義に関しては、「教え方の優秀」な先生が衛星放送で講義を流し、それを全国の学生が視聴する、それが、実は理想の講義形態なのではないかと、コソーリだいぶ前から思っていたりします。

「そんなことしたら、全国画一的な……」という反対意見もあるでしょうが、そういう個別性は、それこそ演習やゼミで担保すればいい。基本となる「○○概論」なんかは、ヘタな教師にやらせるよりも、「教える専門家」が教えた方が、ずっといいんじゃないか。

というのも、「日常・非日常」のフラスコさんなんかがよくいうように、研究者のほとんどは、「教える専門家」ではありません。そして、「研究の能力」と「教える能力」は、全然重ならないとはいわないまでも、まあけっこう違うものです。有名な先生でも、「何を言っているのかさっぱり意味不明」とか、「好きなことを好きなようにしゃべり続け、板書も書き殴り」みたいな例は、全然珍しくありません*1


いや、おれ、自分の講義に、実はそんなに自信がないんですよ。良く見積もって中の中かな、と。まあ、自分のおまんまの食い上げになるので、大きな声では言えませんが。

*1:で、教え子で研究者になった人たちが回想なんかで「○○先生の授業は、当時はあまりに深遠かつ博識で、話があちこちに飛ぶのでよく分からなかったが、今になるとそのありがたさがだんだん分かるようになってきた」とか言ったりするわけですが、そしてそういう「分からない授業の効用」というのもあるとは思いますが、「普通の学生」にとっては、やっぱ分かりやすい授業に越したことはないわけで。