より良い生き方

学校で教育する場合、生徒・学生に対する究極的なメッセージとしては、「学校へ行く方が、行かないよりも、より良い生き方をおくれる」というものになるんでしょう。もちろん、学校で「学校に行くだけが良い人生ではない」というメッセージを発することも可能ですが、しかしその場合にも、「「学校に行くだけが良い人生ではない」ということを悟れるのは、他でもない、学校において、だ」というさらなるメタ・メッセージ性は残るわけです。


「自分の生き方は、自分で決める」も同じ。最近の学校では、小中高大とわず、「自分の生き方を、先生や親に決めてもらうのではなく、自分で考えさせる」ことをこれまた究極の目標としてなんだかんだとカリキュラムを立てているわけですが、しかしこれも、「「自分の生き方は、自分で決める」ことを教えてくれたのは、他でもない、学校において、だ」というメタ・メッセージ性は消しようがありません。


「より良い生き方は、(学校や先生や親ではなく)自分で決める」ことを至上の価値に置きつつも、その価値自体を学校で教わることの矛盾。
どうも学校を、逃げ場のないアリ地獄のように感じてしまう今日この頃です。きっと採点地獄でもがいているせいでしょう。


ちなみに。「自分が決める」のが「より良い生き方」なのだと考えるか、それとも個人の決定とは別に「より良い生き方」のモデルというものが存在するか、という二つの考え方については、こちら。

新版 現代政治理論

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