突っ込み

最近仕事柄魯迅を読むことが多いのですが、彼の一番すごい(と僕が思う)ところは、つねに、自分のポジションに批判的な目を向けることを忘れないところなんじゃないかなあ、と。


「古い時代の人間である自分」というよくいわれているものだけでなく、「小説を書く自分」とか「文学によって革命を成就させようとしている自分」とか「世の中の人・物に対し偉そうに批判を加える自分」とか「妻を捨てて教え子の元へ走った自分」とか、自分が今いるさまざまな立場について、つねに突っ込みを入れることを忘れない。とくに魯迅の後期の評論って、周りの人間に対する、「お前ら、偉そうにそんなこと言ったりやったりしている自分というものを、もっと批判的に見てみろよ」というメッセージに貫かれているような気さえします。

これって、できそうで、じつはけっこうできないことです。


とくに、「あたまのいい人たち」の魯迅論を読んでいると、これを感じます。「魯迅を読んで、それとの対比で世の中を批判する自分」に対する批判的な目がない。ように感じる。もちろん、書かないだけで、実際にはあるのかもしれませんが。


今度「“魯迅論”論」をやってみようかなあ、と思いつつも、魯迅ぐらいの作家になると、「“魯迅論”論」ですら、掃いて捨てるほどあったりするのでした。とすると、目指すは「“魯迅論”論」論か??