多様性

もう一つ加えるなら、学校で保証されるべきは、何よりも「多様性」だと思うのです。


もし、一つの価値観を絶対視しそれだけを教えれば/覚えればいいのなら、それはもはや学校ではなく、収容所とでもいうべきものです。


いろんな考えを持った人が、教師にも、学生にも、いる。自分が今持っている考えは、決して絶対的なものではない。
これを学ぶことこそ、一番(といっていいと思いますが)学校では大事なことなんじゃないのかなあ、と。


だから昨日の文科省案でも、財界のいうとおり「良きサラリーマンを作る」教育が、ダメだとか、悪いとか、そういうわけではない(僕的には)。しかし、「良きサラリーマンになる」ことが唯一絶対の道ではない、ということを何らかの形で保証するような、そういう教育であれかし、とは思います。


じゃないと、外国からの留学生を呼ぶことなど、できないんじゃないですかね。どの外国人が好きこのんで、「日本のさらりーまんになりたいアルヨ」などと考えるでしょう。いやまあゼロだと断言はできないかもしれないけど。