反抗の象徴

盛り上がっております「1万円あげるから茶髪とピアスやめろ」。


つい先日「日常・非日常」さんのところで議論されていた「授業中の帽子」も、実はこの類似品、だと思うのです。が、今のところは、教員が授業中学生に「帽子は脱げ」といって注意してもたぶん問題にはならないのに、「ピアスは取れ」が(「1万円あげる」とか「大学の規則とする」とか、アホな付帯条件がいっぱい付いているとはいえ)ここまで問題になるのは、なんででしょう。いや、これだと、問題が違いすぎるか。授業中、「ピアスは取れ」という教師がいたら、どうでしょう。たぶん、かな〜り、問題になるんじゃないでしょうか(「帽子は取れ」より、ずっと)。


「誰の迷惑にもならない」ことでは、どっこいどっこいだと思うのですが(めちゃめちゃつばの広い帽子とか、めちゃめちゃデカいピアスをしていない限りは)。


と考えると、「茶髪とピアス」って、今現在の「若者の自己主張」の、象徴なのかもしれませんね(若者自身がどう考えているかはともかく、大人の世界では)。まあ、たしかに、「茶髪とピアス」、なんか「反逆的」な気分がして、気分いいものですよ。両方の経験者として。


しかしこの「自己主張」、10年前ならいざ知らず、今では何ら珍しいものではなくなって、かえって「個性がない」ことの象徴になってしまったのは、まあこの手の「記号」にはよくあることなんでしょうかね。