アリの一穴

国旗・国歌裁判に対する反応とか、あるいはジェンフリ関係の論争をみていても思うのですが、いわゆる保守派・右派(この両者もまた完全なイコールではないでしょうが)というのは、多様性、あるいは、ちょっとしたノイズ「だと思うもの」に対し、ものすごく過剰反応するものだなあ、と。


卒業式なりなんなりで、数人の教師、学生、あるいは父兄が起立しない。だからなんなんだ、別にいいじゃん、変わった人が数人いたって。その人らが式を妨害するとかならまだしも、大人しく座っているだけなら。


とは思えないもんですかねえ。


そういう、少しの多様性も許さない全体主義、それって、彼らが忌み嫌い、嘲笑するところの、某北朝鮮なんかと、どこが違うんでしょう。もし、「ああいう全体主義は、見習うべきである」とでもいうなら、その主張の一貫性を認めるのにやぶさかではないですが(賛同はしませんが)。


彼らはどうも、「アリの一穴」が気になってしょうがないらしい。「ほんのちょっとした“乱れ”が、やがてはこの国を滅ぼす」と、本気で思っているような。
それで滅びるような国なら、とっとと滅んだほうがいいんじゃないでしょうか。息もできぬほどの全体主義で塗り固められた「繁栄国家」に生きるより、それなりに多様性のある「滅亡国家」のほうが、楽しそうですもん。