文学教育

今日の朝で5食連続カレーでした。


別にこれは妻による夫虐待ではなく、自ら望んだ道です。とにかくカレー好き。まあさすがに5食でもういいですが、このぐらいならなんでもありません。

しかも、タイカレーとかなんとか凝ったものでなく、本当に普通のカレーでいいんです。



文学のレポートを書かせると、特に1,2年生のうちは、たいてい「感想文」を書いてきます。


これは仕方のないことです。高校まではこの手の課題は基本的に「読書感想文」であり、「自分の感じたままを素直に書く」ことが重視されてきました。「オレはこの主人公に対してこう思う」というのを、気の利いた文章で書くと、良い点がもらえたわけです。


でも大学でのレポート、あるいは卒論となると、これではダメという決まりです。ダメな点はいろいろあるでしょうが、一番大きいのは、「先行文献を踏まえなければならない」でしょう。


ここで文学研究者・教育者も二派に分かれます。1つは、テキスト重視派。テキストを文脈から開放し、現代の自分の目線・視点で、見る。

もう一つは、文脈重視派。これがどういう社会的・政治的状況において書かれたか、に着目し、なるべく当時の目線・視点で、見る。


この二つは、もちろんどっちが上、というわけではありません(流行廃りはありますが)。テキスト派には、「社会状況を取り去ったテキストに、なんの意味があるだろう」という批判があります。
文脈派には、「そんなこといっても、所詮俺達は、“現代の目線で見る”ことしかできないではないか」という批判があります。


たぶん、各教員によって、「どっちを(重点的に)やらせるか」に違いが出てくるのでしょうね。テキスト派は、とりあえずテキストをじっくり読ませ、先行研究を踏まえさせて、自分なりの読みを見つけださせる。文脈派は、当時の新聞なんかを読ませることでテキストが書かれた時点の社会状況を押さえさせ、「だからこういうテキストが生まれた」みたいな書き方をさせる。


繰り返しますがこの両者はどっちが上ということはありません。しかも、僕はどっちもやれたら/やらせられたらと思っている浮気者です。
テキストによって、どっちのほうがより本質を捉えられる、というのもあるだろうし、それぞれのやり方によって結論が違う、ということももちろんあります。テキスト的には完璧なものでも、作者が女性蔑視者だったりすると、そっちの価値は下がったり。


なんてことを学生にやらせるわけです。「調べる」という一手間をかけることで、レポートも、卒論も、格段に良くなる。あまり良いことではないのかもしれませんが、僕は、特にレポートでは、参考文献1つにつき5点上乗せしています。



……昨日とろろさんから「文学について」というお題を頂いて書いてみましたが、「だからなに?」という内容になってしまいました。およよ。


参考

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)

テキスト派を選んだ人の入門書。あんまり評判良くないみたいですが、僕は入門としては、良い本だと思いますけどね。


文脈派の参考書は……今考え中。