甲子園雑感

今年は久しぶりに甲子園を堪能しました。


最後の連投に関しては当然「虐待だ」という意見があって、まあもっともだとは思うのですが、しかし僕を含めた多くの視聴者は、メディアが煽るとか「ハンカチ王子」(←ちなみにこの「呼称」は、昨日の夜のテレビで初めて知りました)とか関係なしに、やっぱり「連投して欲しい」、と期待していたのでしょう。


齋藤投手・田中投手ともに、この甲子園で「投手生命」をだいぶ縮めたんだろうなあ、とも思います。でも我々の中には、やはり、そういう「計算高さ」、将来のためにいまは手を抜いておく、みたいな態度を嫌う風潮があるんでしょうね(連投させて視聴率や人気を取る「計算高さ」はひとまずおいといて)。


よくアメリカの例が比較に出されます。アメリカでは高校生に連投などさせない、と。ただこれは、アメリカのスポーツにおいて、「高校野球」(ついでにいえば「大学野球」も)が人気がなく、これといった全国大会がない、ということからもきています。アメリカの「学生スポーツ」は、バスケとアメフトの人気が圧倒的です。で、バスケではあまり聞きませんが、アメフトだと、とくにRBあたりが、「学生時代の酷使で、プロ入りできなかった」とか「プロ入りしてもケガで使い物にならなかった」とかいう話は枚挙に暇がありません(ちなみにアメフトではRBが野球のピッチャーの役割、つまり、「走れば走るほど使い減りしていく」ポジションです。逆に言うと、「新人が一番活躍できるポジション」でもあるのですが)。


これはある意味当然です。高校−大学スポーツは、別に「プロのための礎として存在する」わけではありません。とくにアメリカの大学などは、スポーツ興行によって利益を出している率が高いわけですから(オハイオステイトみたいに、軽く10万を超える収容人数の自前のスタジアムを持っているところもありますし)、「選手の今後のために温存する」ということはしません。むしろ選手が、「(早く稼ぎたいとかレベルが低いとかそういう理由で)もうとっととプロ入りしたい」と、2年や3年でアーリーエントリーすることも多いのです。ただここが悩みどころ。選手側も、「自分の価値が一番高い時」にプロ入りするように、いろいろ策をめぐらすわけですが、3年生で活躍して、「もう1年やればもっと活躍できて契約金も上がるかな」と思っていると、4年生でケガしたりチームが不調だったりして、価値がガタ減り、ということも間々あります。かといって早ければいい、というものでもない。実はアメリカでも、「大学の優勝のために、アーリーエントリーせず、4年生まで頑張った」という選手は、やはり評価されるのです(ペイトン・マニングがあそこまで評価される理由は、これでしょう。ライナートは、まあ今後の活躍次第かな)。2年生や3年生でとっととプロ入りしちゃう選手は、「カネで動くヤツ」と思われたり(このへんが、アメリカの不思議なところですね。一見「カネがすべて」の社会に見えながら、でも「カネがすべてじゃない」みたいな価値観に憧れたり)。


……と、こういう「計算」を、やはり日本人は嫌うんでしょうね。とりあえず、「今」の全力を見たい。もちろんこんなのは勝手な言い分で、齋藤投手がこれで肩を壊してプロ入りできなくても、誰が責任を取るわけでも−視聴者や主催の朝日はもちろん、監督や高校だって−ないのですが、しかしかといって、温存していたらプロで活躍できた、という保証もない。野球に限らず、とりあえず「今」に全力を注ぐのは、そんなに悪いことじゃないんじゃない?と、クーラーの効いた部屋でアイスを食べながら甲子園を見つつ、思ったりしたのでした。